宇宙と人とセミ


リチャード・ドーキンスの「進化とは何か」を読んでいて、全般的に天才すぎるのだけど、本の主題とは別に、ここ数年の中でもっとも美しい文章に出会った。「宇宙で目を覚ます」という章でドーキンスは以下のように語っている。

「楽しい思い」という言葉は的確ではないでしょう。一億四千万世紀ものあいだ眠りつづけたあと、とうとう宇宙で目覚めるのです。われわれは、色彩に満ちた生命にあふれかえっている素晴らしい惑星で目を覚まし、しばらくして再び目を閉じなければならない。われわれが目覚めた宇宙を探索し、一体ここで何をしているのだろう、この宇宙は一体どうなっているのか、生命とは何か、何のためにあるのだろうか、といった問いに対する答えを探し求めるわけです。

食べるために働かなければならない時もあるし、雑事を片付けたり、時には無為な時間を過ごすかもしれない。しかしながら、この惑星で目を覚ましたことがいかにラッキーか。そして、宇宙の誕生から140億年、地球の滅亡まであと60億年という時間軸で考えると、我々が生きていられる80年がいかに短い時間かを考えずにはいられない。
人間はよく80年という寿命の時間軸で「セミの成虫はたった3週間で死んでしまう。だから、あんなに一生懸命に鳴いてるんだなー。」みたいなことを言うけれど、宇宙や地球の時間軸の中では、人間の一生はもっともっと遥かに短い。

セミよりもかなり一生懸命に鳴いた方が良い短かさで、地球は我々に『もっと本気出せよ!』と思っているかもしれない。

ドーキンスは別の章で、こんなに奇跡的な星に生まれたのだから、持てる時間のすべてを使って世界を歩いてまわり、すべてを知りたいと思うのは当然だろう?という趣旨のことを言っている。セミよりも儚い我々はできるだけ多くの場所に行き、たくさんのものを見て、聞いて、感じたいのだろうし、幸い人類は着実にその方向に進化している。200年前は大阪に行くのも大変だったのが、今は地球の裏側に行くのも簡単になり、しばらくすれば宇宙空間に数千円で行け、もしかしたらタイムマシーンにも乗れるかもしれない。(できるだけ多くの黒歴史を消し去りたい)

そして、多くの場所に行き、多くのことを学べば学ぶほど視野は広がり、「未知」と接する面積が増え、知的好奇心は増していく。終わりのない遊びを前に、興奮して鼻血が出そうになる。

目を覚まして、眠りにつくまで鳴き続けるセミのように、鼻血が出る毎日を送っていきたい。